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人は死んでも、その魂はまた生まれ変わると言うことを 私は信じています。

よく私の前世は蛙だったとか、鎌倉時代の武士だったと 話をする人がいます。はじめていった場所なのに、すごく懐かしい気がしたり、 この海は前に来たことがあるとか、この山は登ったことがあるとか肌で感じる ものです。 それは、たぶんあなたの中にある前世の記憶なのです。そして現世で特に不幸な人生・生涯を送った魂ほどすぐに 蘇り、この世にあらわれると言い伝えられています。

昔、甲斐の山岳地方で山帥の源太と近所に住む十五才の 若い娘が恋仲になった。
自然の成り行きでだんだんとお腹が目立つようになり、元気な男の子を出産しました。そして日がたつうちにお乳もはってきて乳もしぼれるほど出た。
ただこの子は不義の子で、この子の将来のことも自分自身のことも考える中で、若い娘はだんだんやせ衰えて生きる気力も失ってしまった。その時、心に悪魔の声が聞こえた。
「この子供さえいなければ、私は幸せになれる。」
ついに娘はこの子を捨てる決心をした。 そして山深い湖畔に赤ちゃんを棄てに来た。娘は湖に 投げ捨てようとした時、今まで眠っていた赤ちゃんは火のついたように泣き始めた。 娘はシャニムに、子供を投げ捨てたあと手を合わせた。その子の泣き声は耳について消えなかったようです。

数年後、娘は田舎を後に都会に出て来た。そして 現在の亭主と知り合って一緒になって、毎日を楽い 充実した生活を過ごしていた。しばらくして玉のような 男の子が生まれた。若夫婦も子供の成長が楽しみになっていた。成長につれて、この子の水に対しての反応は非常に敏感に なっていった。そんなある日、家族三人で山村の湖に旅行をした時、抱かれていた赤ん坊が急に泣き出したので、母親は 赤ちゃんをあやすと泣きやみ母親の顔をじっと見ていて、「今度もまた僕を棄てるの?棄てちゃいや!」 っといったのです。この子はあの時棄てた子の生まれ変わり だったのです。そして母親は、その子の供養のために水子地蔵を建立して 霊を弔った。それからは前の子と今の子は喧嘩せず合体して健康な 元気な子にそだったそうです。

昔、甲斐の国を流れている大きな川があった。 其の川には、大きなうなぎが川の主として住んでいた。

或る日、川岸の勘五郎はいつものように川で漁をしていると、 網よりはみでる程の大きな太いうなぎを捕まえた。勘五郎は早速家に持ち帰り、夕食の準備にかかった。すると静けさを破って、 「助けて、助けて下さい」 とうなぎは叫んだ。

勘五郎はうなぎを見ると、うなぎ曰く、 「実は私は前世では隣の国でうなぎ屋を営んでいた。
家族も円満で結構、店も繁盛していました。毎日、店では50匹から100匹のうなぎを殺していました。」

「そんなこんなも、うなぎの怨念は私をうなぎの化身にさせた訳でございます。
いまとなって見ると、今度は私が殺されて、皆さんの口に入るといった具合で因果応報とは良く言ったものです。
うなぎになってからも前世で人間であった時にうなぎを殺していた頃の色々な夢を見ました。」

実を申しますと、私の前世は海に住むいるかでした。
海は私にとって住み易い楽園で、この世界では優等生でした。
来世に人間界を希望、其の通りになりました。
この人間世界は、私なりに健康に留意して心の巾も身につけ、広い視野に
立ってこの現世をスムースに大過なく過すことに専念しました。
そして来世で人間界を希望し、色々の難関を突破して継続して人間社会に存在することになりましたが、この人間社会は思った程、平坦の道ではありませんでした。
それでも大過なく、幸せの生活を送りました。
決して私の場合もスムースに人間界に再生しているようですが、実際は私なりにかなりの努力を必要としました。
時には大海を泳いでいた頃を、懐かしく思うこともありました。
現在、私は人間世界と前世の海の生活を比較してどちらかが棲みよかったかは、私にも判断がつきかねている今日この頃です。

昔々、身延町の下山に源助と言う猟師が住んでいた。
源助は猟に出たが、其の日は獲物が何ひとつ見つからず、帰りに向かっている途中、前方の木の上に雉子の夫婦(つがい)がいた。
源助は雉子をめがけて銃を構えた。
狙いを定めて銃を撃った。
雄の雉子に命中、雌の雉子は木々の茂みの中に飛び逃げ
去った。
源助は雉子を家に持ち帰り其の夜食べた。

其の夜、源助は恐ろしい夢を見た。
夢の中に美しい女性は枕もとに座って泣き泣き言いますことに、
『貴方の行った行為は私には解りません。あの人は貴方に何をしたというのですか?私達も昨日まで霊山身延で幸せの暮しをしていたのに、貴方の意味のない殺生の為、不幸のどん底に落とされました。明日は私も貴方に夫と同じように殺していただきたく家に参上致します。私は夫なしでは生きていてもしょうがありません。』
そして、女は号泣した。

源助は目を醒ますと、雉子は家の中に いるのではありませんか!
そして、雉子は燃えさかる囲炉裏の中に自ら飛び込んで息絶えた。
それから、源助は僧になって全国を行脚し、亡き雉子と生きとし生きる物の全てを供養した。
そうして人間らしい生活を過ごしたそうです。

私ごとで恐縮ですが、非常に恐い体験をいたしました。
それは数年前、身延山に参拝に行ったその帰り、道に迷ってしまい、何時間も山道を歩き回っていました。
とうに陽も沈んで、あたり一面まっくらで疲労も極限に達していました。
其の時、前方に人の気配を感じましたので、その人のところに行って『大野に行くにはどのように』と道を尋ねると、その人は私に振り返ったその顔を見るなり私は仰天してしまいました。
と、申しますのは目と鼻と口のないのっぺらぼうだったからです。
私は何が何だか解らなくなり、一目散に駆け出しました。
しばらく無我夢中で走り続けた。すると、前方に人家が見えて来ましたので、その家に走りこんだ。
先程あった事柄を一部始終話しました。
すると、その家の主人は振り返って『こんな顔でしたか?』と、私を見た瞬間、私は気を失ってしまいました。
何時間経ったかわからないが、人の声で目を醒ましますと、そこに居る人達が全てのっぺらぼうでした。
私は再度気を失ってしまいました。
あとは皆目解りませんでした。

後日、古参(ふるかぶ)の長老に聞きましたところ、身延山のその場所は定かではないが、そのような場所があって、従来その地に住む人達の祖先は戦国時代に婦女子達に乱暴、虐待等の限りを尽くした悪人の集団だったそうです。
其の時代の女性達の怨念と祟りは、現在生存してある子孫達にあのような化物(ばけもの)の集団を作り出したと言われています。
くわばら、くわばら........

前世の出来事は後世にまで尾を引くとは恐ろしいことです。

幸せと不幸せは紙一重であるのかなと最近つくづく思うようになった。
良い風が吹くとそこを軸に良い方向に流れて良いことが多く生じるもので、この逆の場合は大変である。
ここにあげる話は山梨県の山村に住む仲の良い夫婦に、ある日突然妻は納屋の鴨居に縄を吊るして首を括って自殺をしてしまった。
貞夫自身も妻を亡くしてから日が経つにしたがって体調を崩して具合が悪くなるばかり、頭を抱え込んでしまった。何で何での問いかけも虚しく、謎として消えていくだけであった。
知人の紹介で近所に住む祈祷師に見てもらうことになった。
祈祷師の話によると、その原因が意外のところにあった。
戦国時代にこの地に敵に追われた数人の武士は救いを求めて来たのを、この村の部落民は武士達の持ち物を強奪するために、全ての者を殺してしまった。
そんな歴史の傷跡が現在、何ら関係ない部落民の子孫にこのような形で現れたのです。
因果応報とはよく言ったものですね。
部落の人々は集まって相談した結果、村の先端に守り神(ほこら)を建立し供養した。
それ以後は、このような祟りは一切起こらなくなったのです。

昔々、甲斐の国の山里で銃で撃たれた雉子(きじ)は死ぬ直前に言いますことに実を申しますと、私は前世ではお役所勤めをしており、将来所望されていた一人でした。
私は元来気の短さが禍(わざわい)をして自然体で行けば良かったのですが少し無理をしてしまいました。と言いますのは同僚、仲間を中傷したり、相手を陥れることに毎日の時間を費やしました。
其の為、周囲の者を泣かし、恨みも受けました。
その当時は、他の人の事を考える余裕もありませんでした。
その代償として、地位は一番上に到達しましたが、毎日仕事のやりづめで気が付いた時には人間の世界に再生できず雉子となって青空を飛んでいました。
前世の行状は私を人間社会に帰る審査に落ちた原因と思っています。
本当の幸せはどこにあるのかを思い知らされました。

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